Castel del Monte

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この八角形の風変わりな建物を建てたのは、フェデリコ2世(別名フリードリッヒ2世、1194〜1250)
フェデリコ2世は1194年、ドイツ王位と神聖ローマ皇帝位を承継する王子として生まれながら、母方の故郷イタリアで育った。
そのせいか、彼は成人してもイタリアをいっこうに離れなかった。
母コスタンツァは、初代シチリア王ルッジェーロ2世の娘。
中世の南イタリアを征服したロベルト・ギスカルドの弟、ルッジェーロ1世の血縁で、ノルマン人騎士の子孫でもある。
フェデリコは、1229年の第5回十字軍遠征でイスラム王と和解を果たし、政治・軍事のみならず、語学の天才にして詩人と賞賛された。
ダンテは彼の才能を「世界の驚異」とさえ評している。
このカステル・デルモンテは1240年頃、建設されたが、その後は何故か放置された。
1928年から修復が始まり、96年にはユネスコ世界遺産に登録。
現在ではユーロの1セント通貨デザインにも使われている。
映画化されたウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」のモデルになったと言われ、実際の映画セットもここをモデルにした。
内部は空洞で要塞としての機能は持たず、フェデリコ2世の趣味だった鷹狩り用の物見棟として使われたという説がある。
当時の建設記録が失われた今では、真の目的は謎に包まれたままだ。
風が吹く丘に立ってみると、渋澤龍彦が「城をいただいた丘は、プーリアの広大な拡がりを、あたかも一点から睨んでいるようだ」と述べたとおり、360度の大パノラマが広がる。
中世キリスト教の世界観にとらわれない行動力と合理的思考は、数百年後に訪れるルネサンスを先取りした天才といえるだろう。
しかし同時代にこの才能を理解する者は存在せず、1250年病に倒れプーリアに没した。
※全体外観・内部の写真のみリコーGRデジタル21mm