ネット民主主義

Canon LiDE500F

7月に入って、プロカメラマン田中希美男氏のブログが、かなりな賑わいをみせた。
数日で数十万のアクセスがあったと思う。
理由は今月発売予定のPanasonic(松下)製デジタルカメラLC1の記述が全部削除されたことだ。
もちろん削除という行為そのものはブログ管理者の本人が行ったものだろう。
しかし、ここまで大幅な削除は前例がないだけに、ネット雀たちの間では多くの推測がささやかれた。
私自身は毎日読んでいるブログでもあり、松下からβ機を借り受けた田中氏が、かなりきつい評価を書いていたと記憶している。
(もっとも、この人のストレートな物言いは今に始まった事ではないが…)
メーカーとカメラマンの間でどのような話し合いがあったのか知る由もないが、一度ネットに表現した事実を消すことはできない。
もし今回の騒動がメーカーの意向とすれば、やはり短絡に過ぎたということだろう。

情報操作で、思い出すのは2004年4月にイラクで起きた日本人3人(民間人)の人質事件だ。
当初は人質に同情的だった報道も、人質家族たちが声高に「自衛隊撤退」を要求するに及んで「ちょっと違うんじゃないか」と距離を置いた。
ネット・掲示板ではさまざまな噂が飛び交った。
曰く、熱心な共産党員を両親に持った洗脳少年、富裕な家庭に育った世間知らずの30女、スクープで一旗上げようと目論んだフリーカメラマン等々…
何が正しい報道だったかは指摘できないが、TV・新聞などの既存メディアとネットという不特定多数の意見に大きな隔たりががあったのは事実だ。
「ネット民主主義」と言えば、確かに感じは良い。
だが、その実態は「いじめ」や「一方的なタタキ」につながるなど、かなり危ういのも事実だ。
しかし、TVニュースでステロタイプ化した論理を振りかざす老人よりは、未来があると思うのだ。
私はこの事件を契機にネットを理解している人とそれについて行けない人が明確に区分されつつあると思い知らされた。

梅田望夫は自著「ウェブ進化論」でウエブ上の民主主義についてグーグルを例に上げ、こう述べている。
…権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞社、出版社のお墨付きが付いた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し、日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたったひとつの基準で、すべての知を再編成しようとする。
ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランクアルゴリズムなのである。
リンクという民意だけに依存して知を再編成するから「民主主義」。
そしてこの「民主主義」も「インターネットの意志」の一つだと、彼らは考えている…