レンズの眼

Canon LiDE500F

同名のSF小説(ランドン・ジョーンズ)があるが、今回の話題はそれではない。
今、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」についてだ。

「私たちが暮らしている世界は、ときには形も定かでない、混沌としたものに見えますが、じつは美しく、整然とした世界なのです」M.C.エッシャー
異端児と呼ばれながらも多くの支持者を集めるM.C.エッシャー
CGが発達した現代だからこそ、その価値や普遍性が再認識されている。
エッシャーが表現した不思議絵、錯覚構図は、17世紀以来のだまし絵とは一線を画したまさに前人未踏の表現だ。
展示会場にも年代を超えた多くのファンが集まり、初期から最晩年に至る作品を鑑賞していた。

マウリッツ・コルネリウスエッシャー(Maurits Cornelius Escher、1898~1972)は、1898年オランダ北部フリースラント州レーワールデンに生まれた。
父親のジョージ・アーノルド・エッシャーは、土木工学の専門家で、明治政府が招聘した外国人技師として来日歴もある名設計者だった。
エッシャー自身は父ジョージ・アーノルドの5番目の息子、母親は元大蔵大臣の娘だったので、富裕な貴族階級に生まれ育ったことが分かる。
日本におけるエッシャー人気は1960年代末頃から始まるのだろうか…
少年マガジンや雑誌GOROが、彼の作品を紹介していたのが懐かしい。
76年には西武美術館で国内初の個展を開催、その後は長崎ハウステンボスのコレクション購入なども手伝い、さまざまな規模の展示会が毎年のように開催されるようになった。

1922年、友人と共にイタリアを旅行したエッシャーはその魅力にとりつかれる。
以降、毎年のようにイタリアを訪れ、結局ローマに居住するようになった。
この時代のエッシャーはイタリア各地の風景を精力的にスケッチしている。
一連のエッチング木版画は、後半生の不思議絵しか知らないファンにとっては、珍しい作品群かも知れない。

カストロヴァルヴァ、アブルッツィ地方1930 リトグラフ
1929年挿絵本制作のためアブルッツィ地方に出かけたエッシャーは28点の素描を残している。
その後6点をリトグラフで再制作した。
この作品もその内の1点、近景の植物と眼下に広がる集落を誇張して描いている。


図式化されたJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲のプレリュード最初の4小節1936 ペン、インク125頁
エッシャーにとって、数学的均衡を図ったバッハのポリフォニーは受け入れやすい音楽だったようだ。
会場では12音階を図式化し、角度によって音程が変わる様子をCGで再現していた。


球面鏡のある静物1934 リトグラフ
リトグラフを制作している作者の姿がガラス球に映っている。
黒いテーブルの上には本、新聞、人面鳥の置物。
この鳥はシームルグというペルシャ神話に登場する鳥で、エッシャーの作品にしばしば登場するキャラクターだ。


バルコニー1945 リトグラフ
本展示会のパンフレット表紙にも採用された作品。
地中海マルタ島の街をスケッチし、中央部を極端にレンズ歪曲させたような構成だ。
魚眼レンズとは逆に対象を拡大した構図は、どのようなインスピレーションから生まれたのだろうか。


円の極限Ⅳ(天国と地獄)1960 板目木版(2色刷)
空間の正則分割の中で、天使と悪魔が端に行くにしたがって小さくなり、最後にはほとんど消えてしまっている。
発表当時は、円の外に無限という概念が表現されていると数学者の間でも話題となった作品だという。


正二十面体(ヒトデと貝)1963 直径170mmのブリキ缶

奇想の絵師といえば、日本でも歌川国芳を忘れるわけにはいかない。
東洋、西洋の違いはあるが、絶えず独創的な視点から自らの表現を試みた点には多くの共通性があると感じた。