The Codex Leicester 1

Canon LiDE 500F

ルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)
モナ・リザ」「最後の晩餐」など、今日伝わる絵画作品は10点余…、しかも、その多くは未完だ。
一方、手稿(CODEX)と呼ばれる彼の手帳やノートは、現存するものだけで8000ページ。
天文学、解剖学、建築土木、自然観察など、さまざまな分野の研究・観察記録が500年前の最先端モバイルメディア「紙」に書き込まれている。
有名なものだけ見ても「アトランティコ手稿(アンブロジァーナ図書館)」「鳥の飛翔に関する手稿(トリノ王立図書館)」「パリ手稿(フランス学士院)」「解剖手稿(ウィンザー王立図書館)」「マドリッド手稿(マドリッド国立図書館)」「フォースター手稿(ヴィクトリア&アルバート美術館)」など、ことごとく欧州の公立施設が管理している。
写真は「パリ手稿」(ファクシミリ版)

今回、公開される「レスター手稿(18枚、72ページ)」は、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長夫妻が所有するもので、個人管理のレオナルド手稿はこの「レスター手稿」だけだ。
ちなみに内容は、すべて鏡文字で書かれている。
15世紀から16世紀へと時代が変わる中、「紙」の存在価値とはどれほどのものだったのだろう?ちょっと、調べてみた。
人間が文字を持たなかったころ、情報伝達手段は言葉(口伝)に限られていた。そのため古代の人々は、縄に結び目を作ったり、着色したりして記憶の手助けにしていた。
やがて、記号から文字が作られ、多くの記述用の材料が現れる。亀の甲、獣の骨、石、粘土板、ヤシの葉、羊皮、など…中でも一番「紙」に近いのがパピルスだ。
パピルスは、B.C2500年頃、エジプトで用いられた。草の髄を縦に裂いて重ね、シート状にして作られた。
英語のペーパー(paper)の語源にもなっている。
紙と混同されやすいが、「漉く」という課程を経ていないので、現代の「紙」の原型とは言えない。
一時期は全盛を誇ったパピルスだが、製本に適さないため情報記述の手段は羊皮紙にとって変わられる。
以降、羊皮紙はヨーロッパに紙が伝わるまで1400年以上も使われることになる。

それでは現代の「紙」の原型はどこで発明されたのだろう。
後漢時代(25年〜220年)の皇帝、和帝は、『かさばらず費用のかからない書写材料』の開発を命じた。そして西暦105年、ようやく書写に適した紙を完成する。
これが、歴史上初めての紙「蔡侯紙(さいこうし)」だ。
時代は下って751年、唐とサラセンの間で戦争が始まり、唐は敗退。多くの将兵が捕虜になった。
この捕虜の中に腕のよい製紙技術者がいて、サラセン軍に「紙漉き」を強いられる。これが中国以西へ、紙が伝わった始まりとされている。
こうして、月桂樹や桑などを使った「サマルカンドペーパー」が、ペルシャやスペインにまで知れわたると、ペルシャ王は、唐から正式に製紙技術者をバグダッドへ招き、紙の生産を開始するようになる。
製紙の技術伝搬は1040年、アフリカのリビアへ、1100年にはモロッコへと到達する。
そして、1189年、製紙技術はようやくフランスへ伝わった。
十字軍によってヨーロッパへ持ち込まれた紙が、ヨーロッパで生産できるようになったのである。
実際、現物の「レスター手稿」を見ても紙を足して使っていた跡がある。
貴重品だったに違いない。まさにルネサンス期の「モバイルノート」か…
11月13日まで(六本木ヒルズ森タワー52階、森アーツセンターギャラリー)